『久米、野北、彦山周辺の散策』
日時・場所
平成26年9月

 ~久米神社~埴安神社~平野主鈴の碑~須賀神社~日子神社~落石神社~白木神社~
久米、野北、彦山周辺の散策

久米神社:神社から火山へ通じる山道を行くと程なく久米皇子遺跡碑のある高台に到着します。久米皇子の仮埋葬地と言われています。 近くには「がどふ」と呼ばれる古墳2基があります。皇子の母の墓所と伝えられており、近辺一帯を「久米殿屋敷」と言われております。 久米皇子は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の第2子。

埴安神社:イザナギ、イザナミの子神を祀る。「土」に関係する神と思われます。 須賀神社の摂社。 平野主鈴の碑:南北朝時代、足利尊氏は西国にあって不遇をかこっていました。近在の名主である平野主鈴はこれを厚くもてなしました。尊氏は恩義に報いるため主鈴に宛てて礼状と鎧1領を贈りました。

須賀神社: 祭神は五十猛尊(いたけるのみこと)。土の船で半島から渡海したと伝えられています。造船、航海安全、大漁の神とされ、また森林、植林の神として崇められています。野北には、金坂、吹切、田々羅、合火屋(おおびや)等、製鉄の関連の地名が多く残っており、製鉄に深く関与していたようです。なお、この地は小字を「妙見」と云い、妙見信仰の跡が覗えます。妙見信仰は北極星、北斗七星を崇める道教の星辰信仰で、半島経由で新羅系渡来人が伝えたものです。 神社は天文23年(1554)、安部鑑宗(あきむね)の創立によるものです。彦山の山麓に「おたっちょ」と呼ばれる五輪の塔があり、鑑宗の屋敷跡と云われています。「月毛の馬に跨る鎧武者の幽霊」が出没すると恐れられています。

日子神社:彦山の山麓に鎮座する小社で、かつては彦山山頂にあったのを遷座したと云われています。 田川の英彦山大権現を勧請したものであろうか、英彦山にも野北姓が多いと云う。

落石神社:1587年、高祖城は秀吉軍に攻め落とされます。落城に際して、乳母に伴われて野北に落ちた原田信種の娘、輝姫(おちいさま)を祀る小さな社。

白木神社:西の浦にも同名の神社があり、元は蒙古山の隣の妙見山頂に祀られていた。白木は「新羅」の転訛と云われています。朝鮮半島とのつながりを示唆して興味深い。祭神は五十猛尊。


須賀神社

白木神社


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