『ふたつの城を持つ高祖山登山』
日時・場所
平成25年11月

 古代の怡土城と中世の高祖城など
概要

雷山公民館の歴史講座に参加して高祖山とその周囲の歴史、文化、神話伝説を訪ねることになりました。引率して説明をして戴いたのは、糸島市の文化課の職員の方でした。そのコースは高祖神社駐車場→金龍寺→高祖神社→一之坂礎石群→下之城→高祖山山頂(416メートル)→第1~第5望楼跡→高来寺登山口→染井の井戸→怡土城跡→駐車場でした。この時、配布された「糸島の山歩き(高祖山編)」は非常に参考になりました。

金龍寺

曹洞宗の禅寺として永生5年(1508年)に原田家の菩提寺として創建しましたが天正15年(1587年)に豊臣秀吉の「九州征伐」により原田家は取り潰され没落しました。裏庭から高祖山を借景にした築山式の美しい庭園を持ちます。

高祖神社

古代から怡土郡の惣社として尊敬されて来た神社です。華麗で重厚な檜皮葺きの三間社流造の本殿や拝殿などが古い歴史と建築物としての高い質を持つことにより平成24年3月に福岡県有形文化財(建造物)に指定されました。

怡土城

高祖山の西斜面から麓にかけて築かれた山城です。築城開始頃は新羅との関係が悪化し緊張が高まったので大宰府防衛の最前線基地や朝鮮半島に向かう軍の兵站基地として、吉備真備の指揮で天平勝宝8年(756年)に開始され12年を要しました。見晴らしの良い場所には望楼がありました。

高祖城

築城にあたっては怡土城の土塁や堀や望楼を利用して原田種継が建長元年(1249年)に築いたと伝えられていますが、秀吉の「九州征伐」により取り壊されていますが、石垣や空堀などが今も残っています。

染井の井戸

仲哀天皇と神功皇后が熊襲討伐のため来られた折、天皇が敵の毒矢で亡くなられました。その後皇后は将兵達に対し「天皇の鎧がこの泉で赤く染まれば熊襲に味方する三韓(朝鮮の南部の国)との戦いは勝利する」と申され使われた井戸だという伝説があります。


500年以上の歴史ある金龍寺

檜皮葺き屋根の高祖神社

下之城跡

建物の基礎石・第5望楼跡

神功皇后伝説ある染井の井戸

今も残る怡土城跡


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