『第5回 歩く唐津街道の旅2013に参加』
日時・場所
平成25年10月

 唐津街道の糸島エリア(1)
概要

玄界灘風景街道の街道遺産新発見ウォーク事業に、糸島魅力みつけ隊として参加しました。当日は北九州や唐津などから多くの参加者があり、台風の影響も去り秋晴れで気持ちのよい一日でした。唐津街道は北九州市から福岡市を経由して唐津市までですが、当日の行程は、福岡市・姪浜から糸島市・加布里までの約15キロです。姪浜の旧道を出発してからは国道202号を生の松原、長垂→今宿の旧道→九大学研都市駅→周船寺の旧道(丸隈山古墳横)→国道202号を経て前原名店街通り→筑肥線を横断し南側を平行に歩き→再び202号に出て加布里までの順路です。可能な限り史実に沿うように計画されていました。

姪浜宿

商人町、漁師町、宿場町が雑居して「姪浜千軒」と呼ばれ繁盛していたそうです。古くから製塩が行なわれ特に姪浜塩は味の良さで定評あったそうです。伝説では袙(あこめ 下着のこと)を干したので袙浜とよばれ、のち姪浜になったとのことです。

生の松原

鎌倉幕府は、蒙古の再度の来襲に備えて建治2年(1276年)元寇防塁を造りました。発掘整備され生の松原で約60メートルが保存されています。「蒙古襲来絵詞」に肥後の御家人竹崎季長が防塁の前を馬上で進む場面はこの場所での情景です。また天正7年(1579年)立花と原田の両軍がこの地で激しく戦い、長垂山にかけて500人ほどの死体があったそうです。 

今宿

継所が置かれ幕府や藩からの貨物の運送などを行なっていました。旅人や馬を繋ぎ休憩した所で、今も「馬繋ぎ石」が残されています。

丸隈山古墳

全長約85メートルの前方後円墳です。後円部の中央に横穴式石室が残されていて、鉄製の扉越しに石棺が置かれた内部を見学できる国指定史跡です。築造されたのは、古墳時代中期(5世紀前半)とされています。寛永6年(1629年)に発掘されて、貝原益軒が「筑前国続風土記」でその経緯を著しています。

前原宿

唐津街道は今の「前原名店街通り」です。江戸時代には唐津街道の福岡領の西入口で、島原の乱後の治安維持のため寛永15年(1638年)に関番所が設けられました。宿場が必要となり貞享2年(1685年)に茶屋(本陣:大名宿泊所)などが設けられ宿場らしくなりました。参勤交代や長崎への警備出動などで一度に数百人が宿泊することもあり賑わったとのことでした。


姪浜宿

元寇防塁跡と蒙古襲来絵詞

今宿・馬繋ぎの石

丸隈山古墳内部・石棺

前原宿・豪商綿屋分家跡

前原宿・人馬継所跡


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