『万葉集に登場する糸島引津湾と唐津神集島を訪ねて』
日時・場所
平成24年10月

 志摩船越万葉の里~神集島
目的
遣新羅使は、遣唐使のように歴史の表舞台に華々しく登場しませんが朝鮮半島の新羅へも度々通交しています。その第20回遣新羅使(736年派遣)の万葉歌が引津湾と神集島にそれぞれ7首あります。故郷を懐かしんだものや異国や航海への不安など、胸に迫るものがあります。この一行は、難波(大阪湾)を出航後は遭難や風待ちで次々と寄港したことから航海のコースがよく分かります(航海史料として非常に珍しい)。

驚きは、糸島の次に寄港したのが僅か12km西方の唐津です。当時、遣唐使船は、東シナ海を横断しているので、通常ならば筑紫館(博多湾)から直接、新羅へ向うことも可能です。果たして風待ちか、新羅へ行きたくない事情があったのか(彼の地では天然痘も流行?)、、、 不可解な行動と言えます。なお、神集島では宴会を催し、娘子(遊行女婦、うかれめとも言う)もその席で一首詠むなど、大らかさも感じます。

そこで、その心情の一端が偲ばれる歌として、本土最終寄港地の引津湾から一首(恋人を思う)、神集島からは娘子の一首(航海の無事を祈る)を紹介します。 



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