フィールドワークによる地域資源を把握する活動をします。

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糸島の延喜式内社 「志登神社」
志登神社を中心とした伊都国

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今山~志登神社の軸線
前原市志登に糸島地方唯一の延喜式内社、志登神社がある。祭神は豊玉姫である。この社地は山幸彦が海神国へ行って先に帰ってきたのを、その妃豊玉姫が後を追ってここに上陸した霊地として伝えられる。地形的には糸島水道中央部の陸地であったと思われる。この霊地は不思議なことに姫島~可也山~長垂山を結ぶ東西軸と、雷山~柑子岳~灘山を結ぶ南北軸の交点に位置する。鳥居と社殿の向きの指し示す方角は西南西であり、冬至の日没方向である。その彼方に二丈町大入(日が大きく入る)があり、さらに軸線を伸ばせば唐津市の桜馬場遺跡がある。注目すべきは社殿の向きの背面方向で、今宿横浜の今山を指し示す。ということは夏至の太陽は志登神社背後の今山から昇る。今山は頂をふたつ持つ二上山(ふたがみやま)だったことから、一年のうちでもっとも旺盛な夏至の太陽はふたつの頂の間から、神々しく昇ったのだろう。志登神社の神官や巫女が拝む方向は今山であり、夏至の軸線である。この軸線をさらに伸ばせば能古島の白髭神社を通り、香椎の立花山を指し示す。立花山は今山と同様、頂をふたつ持つ二上山であり、立花山から昇る太陽は天孫降臨「天の磐座をおしはなち、天の八重雲をおしわけて、いつのちわきにちわきて・・」をほうふつとさせる。今山は昔、夷魔山と呼ばれ、山幸彦が弓で夷魔を射平らげたと伝えられるが、夷魔とは太陽(あるいは幻日)のことでアジア各地に残る神話、太陽を弓で射る「射日神話」との共通性があるのではないだろうか。また、今山の白髭明神と能古島の白髭神社の符合も気になってくる。白髭神とは航海の安全を司る神であり、伊都国の海上貿易を担った集団を暗示させる。今山周辺には石斧を運ぶ航海に長けた集団が暮らしていたのだろうか。そして、あらゆるものを焼き尽くさんとする夏至の太陽は西北西の火山(日の山)に沈む。
姫島
夏至とは対照的に、一年のうちでもっとも力の弱まった冬至の太陽は東南東の高祖山から昇る。高祖山もまた南側の槵触山(くしふるやま)との対で二上山であり、槵触山と王丸山の間の谷は日向峠(ひなたとうげ)である。日向と高祖山と槵触山とは日向と高千穂と槵触岳を連想し、日本神話と重なる。日向とはヒムカ、すなわち日迎えだろうか。冬至の日に「お日待ち」といって、村人が集まり食事を共にして一夜を明かし、翌朝の日の出を迎え遙拝する風習(新嘗祭の原形)を天の岩戸伝説に重ねて思い起こす。冬至とは一年の終りと始まりを意味し、現在私たちが正月に初日の出を拝む習慣も冬至と関係があるのだろう。 さらに、前原市平原遺跡出土の銅鏡「内行花文鏡」(国宝)の文様を志登神社に置き、図が指し示す八つの方角を調べてみると、面白いことがわかる。北は柑子岳、北東は毘沙門山、東は長垂山、南東は王丸山、南は雷山、南西は宮地岳、西は可也山、北西は彦山と正確に八つの方向を示す。銅鏡の使用方法は解明されてないが、おそらく伊都国の支配者は、太陽光を銅鏡に反射させて遠距離での光通信を行い、測量の道具として銅鏡背面の文様を利用して地形を測り、太陽(季節)を読んで農耕の陣頭指揮をしていたのだろう。 今山石斧の交易分布をみても、邪馬台国以前の日本最古の都は、間違いなく伊都国である。今山と志登神社は古代史において重要な都市施設ではないだろうか。今宿の今山は歴史教科書にも載る資質を十分備えていると思われるのだが、現在の今山は北側部分を大きく削られて片側を無くしてしまった。このことは郷土の歴史の喪失だけでなく、日本の歴史の喪失だろう。今では、かつて今山がふたつの頂をもった二上山であったことを知る人も少ない。
怡土平野から望む高祖山と日向峠

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