フィールドワークによる地域資源を把握する活動をします。

トップフィールドワークトップお道具山古墳と志登神社
糸島最古の前方後円墳「御道具山古墳」
このテーマを選定した理由
糸島には62基以上の前方後円墳があったそうです。その中で最古のものと言われています。その所在地は泊地区の丘陵にありますが、うっそうと繁る竹林などの雑木林や墳丘自体が丘陵のように見える為に極めてわかり難いものがあります。しかし、墳丘の頂に登れば孟宗竹越しに前方部そして後円部、それらを繋ぐくびれ部など全体像がよくわかります。 墳丘の特徴としては前方部が三味線のバチ状に開く古式の形をしており、わが国最古の前方後円墳の箸墓古墳の特徴を備えていると言われています。その規模は全長約65m、後円部径約40m・高さ7m、前方部長約25m・高さ4.5m。
姫島
姫島
前方部の隅角部(右側)は墳丘の一部崩落が見られる。
姫島
姫島
前方部から後円部へと続くくびれ部を望む。前方後円墳の形状がよく分かる
姫島
姫島
後円部の墳頂は夏期の雑木の枯枝などで覆われている
姫島
姫島
後円部は小道の間際にあり、古墳の一部とは分り難い
望東尼の足跡をしのんで
この古墳は、糸島にある前方後円墳の中ではその墳丘形状をかなりよく残しています。前方部そして後円部の頂から墳丘全体を眺めると、古墳の立体形状がよくわかり、1700年間の長い風雪に耐えてきたことに驚かされます。しかもその前方部の墳丘が、わが国最古の箸墓古墳の特徴を備えているのが、考古学には素人の私たちにもなんとなく感じられ、その凄さに古代ロマンを覚えます。本資料では御道具山古墳に関わること、その調査の過程で感じたことなどを併せて補足説明します。
姫島
1.御道具山古墳の概要
この古墳の基本要素をいくつかの専門書からみてみると、

1)この古墳が築かれた時期
全国古墳編年集成によると、同古墳の築成はⅠ期に相対編年される。凡そ、西暦300年になる。福岡の那珂八幡古墳が同じ年代のⅠ期に編年される。

2)墳丘の形状
全長復元長約65m、後円部復元径約40m(高さ7m)、前方部復元長約25m(高さ4.5m)。段築は前方部2段、後円部3段。造出はなし。前方後円墳集成九州編によると前方部復元幅25m,くびれ部復元幅19mとしている。方位はN-約150°-E。航空写真で見るこの古墳のくびれ部が異常に細い。糸島市教育委員会によると、みかん畑の開墾により少し削られた可能性ありとのこと。
 一般に、古墳の構造上脆い部位は、くびれ部と前方部隅角部と云われている。

3)各基準点間の縦比
初めての試みとして各基準点間の縦比を求め、箸墓古墳のそれらと比較してみた。
そのやり方として前方後円墳の基準点模式図などを参考にし、その墳丘平面の復元を素人なりに試みた。再現イメージでは墳丘の各基準点間の比率(縦比)は次の通り、箸墓古墳にほぼ等しくなった。

「各基準点間の縦比」
□箸墓古墳
 後円部径:前方部後長:前方部前長=59:28:13≒6:3:1
□御道具山古墳
 後円部径:前方部後長:前方部前長=58:29:13≒6:3:1

4)外表施設
周溝が巡り、一部には葺石が巡っていたとなっているが現場では全くわからない。埴輪は見つかっていない。

5)内部主体
未調査の為に残念ながら不明である。内部主体が未調査のままとは、素人考えであるが甚だ惜しまれる。

6)出土遺物
墳丘裾からは布留式古段階に位置付けられる土師器や甕、弥生土器などを採集したとなっている。

7)特記事項
御道具山古墳の前方部前面には一辺14mの方墳が確認されている。内部主体は玄武岩板石製の箱式石棺となっている。棺は盗掘により大破していたが、棺材に赤色顔料が塗布されていることが確認された。盗掘排土からは2本分の鉄剣片や古式土師器が出土している。また、この付近で高さ2m足らずの小円墳から朱塗りの箱式石棺が出土し、一帯に箱式石棺を持つ低墳丘の古墳が複数存在していた可能性もあるとのこと。
姫島
2.御道具山古墳の古代史における位置付け
糸島の地は、古代より中国大陸や韓半島との地理的な繋がりが極めて強い。紀元前後に築造された三雲南小路墳丘墓(王墓)から出土した豪華な副葬品をみれば容易に推察できる(春日市の須玖岡本遺跡と共にわが国最古の王墓といわれる)。さらに1世紀後半には井原鑓溝の王墓、そして2世紀後半には平原の王墓が築かれた。
その平原墳丘墓から凡そ1世紀後に御道具山古墳が出現する。この約1世紀の間に、、、奈良纒向の地ではヤマト政権が、国家としての基礎を固めた時期であろうと推察される。纒向遺跡群のなかでは、纒向石塚古墳、勝山古墳そして箸墓古墳が特徴的な古墳形状を示している。そしてこれらは皆、前方後円墳の祖形であるとも考えられる。形状的には、次のように前方部の特徴によって分類できる。

前方部が短い纒向形の纒向石塚古墳⇒ 帆立貝形前方後円墳へと発展
前方部が柄鏡のような勝山古墳  ⇒ 柄鏡形前方後円墳  〃
前方部が撥形に開く箸墓古墳   ⇒ 撥形前方後円墳   〃

即ち、纒向石塚古墳が帆立貝形、勝山古墳が柄鏡形、箸墓古墳が撥形となったのではないか。どれを最古の前方後円墳とするか専門家の間でも意見が分かれる。

御道具山古墳以降に築成され糸島古墳群を、墳丘形状で分類すると少々強引ではあるが、次ぎの四つの流れになるのではないか。

箸墓古墳形  ⇒ 御道具山古墳
帆立貝形   ⇒ 築山古墳、銭瓶古墳 
柄鏡形    ⇒ 端山古墳、一貴山銚子塚古墳

ワレ塚古墳(前方部は短いが、広がりはない)

大きな三角形の前方部形 ⇒今宿大塚古墳(古墳時代後期のものに多い)
糸島の地で、最後となる主要な古墳は、西暦500年頃に築成された飯氏二塚古墳であり、あたかも古墳時代が終わったかのような感さえある。
これに代わって宗像、遠賀、浮羽、久留米、筑後南部が登場する。福岡県にある巨大前方後円墳(墳丘長80m以上)の殆どは、これらの地方に現れている。従って、糸島の地は古墳時代の後期から終末期にかけては、ヤマト政権から政治的に軽視され、寂しいポジションに低下したことを暗示させる。
姫島
3.糸島古墳群の現状と保存・整備

1)古墳の保存・整備・活用、そして復元についての提案
〇現状保存のままでよいのか。
糸島古墳群の崩壊は確実に進行しており、現状保存のまま(自然にまかせる)ではよくないことだけは確かである。優先順位をつけ、重点的に何等かの対応・措置ができないか。
〇古墳の整備をしてはどうか。
近隣の市町村には、すっきりと整備され、古墳の全容が一目でわかるものがある。
今宿の大塚古墳、唐津には久里双水古墳や小ぶりの島田古墳、八女には岩戸山古墳、石人山古墳、弘化谷古墳など、枚挙に暇がない。各地の自治体ともそれなりに古墳の整備に努めていることが伝わってくる。
○一歩進んで古墳を復元してはどうか。
予算が大きく絡むが、将来的には一つくらいは必要と考える。郷土の子供達にとって誇りとなるものであり、郷土愛に繋がるであろう。

2)古墳主体部の学術的調査を望む
糸島の主要な古墳の中で、主体部が未調査となっているものが幾つかある。
例えば、御道具山古墳を始め、端山古墳、築山古墳、ワレ塚、銭瓶塚などである。 
いかなる副葬品が埋葬されているのか、糸島市民として、さらには歴史文化フアンとしても早期の調査を希望したい。


『結びにかえて 所感』
日本風景街道戦略会議では「日本風景街道の実現に向けて ~美しい国土景観の形成を目指した国民的な運動~」の中で次のように記しています。
“国土文化の再興は、「文化資源の保存・保護・活用」のみならず、「美しい国土景観の形成」や、「地域活性化」、「観光振興」、などの様々な分野の政策が複合的に実施されるものであり、これらの政策を有機的につなぐ仕組みが必要である。

このような目的・理念のもとに、糸島魅力みつけ隊歴史文化グループとして郷土の歴史文化遺産の保存・整備・活用さらには復元を目指し、広く情報発信を試みながら次の世代にバトンタッチできれば考えます。
                                  以上

糸島魅力みつけ隊ネットワーク協議会トップ歴史・文化グループ食文化グループ

COPYRIGHT(C)2011 糸島魅力みつけ隊ネットワーク協議会. All RIGHT RESERVED.