フィールドワークによる地域資源を把握する活動をします。

トップフィールドワークトップ姫島、、、そして野村望東尼
姫島の魅力は自然・景色・リクリエーション、人情、、、、そして望東尼の足跡
このテーマを選定した理由
糸島半島の最西端の鼻先にポツンと浮かぶ孤島は、二丈を走る国道202号線や唐津の海岸からも直ぐ目につきます。
この緑に覆われた小さな島には、素晴らしい自然・景色、昔ながらの伝統的な漁村の風情、、、そして
かっては福岡藩の流刑獄舎があり、野村望東尼(以降、望東尼)を長州藩奇兵隊士らが救出するというドラマチックな事件があります。全国的に知名度の高い歴史の舞台でありながら訪れる人は多いとはいえません。惜しい限りです。
一方、それに比して福岡市中央区の望東尼ゆかりの平尾山荘は市指定史跡となり、草庵の周囲は広く公園化され、また都心に近いせいか望東尼ファンが全国から訪れるということです。
そこで題記のテーマを採り上げ、離島が持つ特有の“something =何か”を感じ、見つめ直し、糸島からの情報発信にしたいとの思いでフィールドワーク(FW)を試みたものです。

<事前ミニ知識>
姫島:糸島市志摩姫島。周囲4km弱、人口は凡そ200名(50数戸)、小中学校、売店1軒、民宿3件、渡船は午前・午後に各2便あり。日祭日は釣り客が目に付く。
野村望東尼:幕末の歌人(1806~1867)。福岡藩士の夫と平尾に隠棲し、夫の没後は剃髪し“望東禅尼”と称した。勤皇思想に共鳴し、平尾の草庵に高杉晋作(以降、晋作)らの志士を匿った。福岡藩の勤皇派弾圧によって姫島へ流刑。靖国神社に祀られ、正5位に叙さる。明治政府にとっては重要な維新の貢献者であったことがわかる。

FWの報告
当日は、志摩岐志漁港~姫島漁港~望東尼獄舎跡~小中学校~鎮山~姫島神社~漁港・帰路のコースです(21年10月実施)。

僅か16分で姫島へ
島からは糸島の大パノラマが広がり、大きな開放感を満足!
志摩の岐志漁港には広い無料の駐車場があり安心して車を置くことができます。11時45分発の渡船には、週日のためか観光客も釣り人もなく船内はゆったりとしていました。出港すると直ぐ波しぶきが船窓をかすめ、かなりの高速であることがわかります。アッと言う間の16分間、姫島漁港に到着しました。
島からの景色は雄大で、左手直ぐ間近に糸島半島の海岸線、その後ろに糸島富士の可也山、高祖山から日向峠、雄大な山並みの雷山山系、二丈岳、浮嶽、そして十坊山から唐津方面までぐるりと大パノラマを堪能できます。ここでしか糸島の全景は一望できませんし、また、“本土では味わえない開放感”は格別です。
姫島
船着場近くには漁師小屋が連なる
漁港周辺は、昔懐かしい原風景が甦る
船着場には“漁師の作業小屋”十数軒が連なっています。山裾にはペンキ塗りの古い木造平屋があり、“姫島保育所”という看板が架かっています。昔は中学校舎であったとか、長閑な一昔前の光景です。左手に少し歩くと“懐かしいと感じさせる古い木造2階建て(旧姫島漁協事務所)”が見えてきます。潮風に耐えた昔の家屋には記憶の片隅に残る原風景が甦ってきます。数年前までは廃屋に近い状態でしたが、当時の漁業組合長の熱意が実り、今日の姿にキチンと修復されたそうです。
わが国から古い建造物が急速に消えいく昨今、“郷土の大切な遺産として修復保存”されたことは島の皆さんの熱い思いが あればこそと感銘を覚えました
姫島
売店ではラーメンをセルフで食べられます、3軒の民宿では海の幸が堪能できます
小さなスーパーのような外観の“漁協の売店”があり、離島にきた不安感が解消されます。食料品や日常雑貨の他、海産物の土産も売られ、ここが島の中心のようです。お店には一休みできる広いスペースがあり、熱湯の入ったポットもありますので、ここで購入したインスタントラーメンを食べることもできます。ちょっとした心使いが伝わってきます。
売店の横には小さな公園の広場もあり、幼児を遊ばしている母親を何組か見かけました。直ぐ前に“民宿”の看板が見えます。他にも2軒あるそうです。海の幸を堪能するには予約が必要とのことでした。
望東尼の足跡をしのんで
望東尼の御堂、獄舎のような風情が漂う
売店から漁村風の家並みが続く緩い登り道を2~3分歩くと、小高い石垣が見えてきます。ここが“野村望東尼遺跡”です。石段を上がると本日のご説明を戴く姫島区長の須田さんが待っておられました。遺跡は横長の広場で、ホウキで綺麗に清掃され、島の人々の気持ちが伝わってきます。古い木造格子戸がついた獄舎らしき建屋がありますが、これは牢跡に建てられた“望東尼を偲ぶ御堂”とのこと。説明がない限り、これを獄舎と見誤ってしまうので要注意です。しかし、それなりに風情があり、望東尼が入った牢獄もこんなものであったとつい空想してしまいます。御堂の格子戸を開くと、そこには望東尼の御影らしき古い人形がありました。
獄舎跡に建てられた望東尼をしのぶ御堂
姫島
望東尼と島民の心の触合い
当時の獄舎はこれより少し大きく2×1.5間の建物だったそうです。獄舎の周囲は松材の荒格子造りの粗末なもので“望東尼自筆の姫島獄中図”には格子からの風を防ぐためにゴザや着物を掛け、望東尼は綿入れの丹前を着て小さな机の前に座り、書物を読んでいる姿があります。冬を挟んだ劣悪な小さな獄舎内の10ヶ月間は辛い毎日であったと推察されますが、島の人々は年老いた望東尼に同情し、獄舎内へ“厳禁の火を差し入れた暖かい思いやり”があったとのこと、少し安堵させられました(政治犯の獄舎では火と刃物が禁止。なんとなく想像できます)。
この火を貰った時に詠んだ歌があります。
“暗き世の囚屋に得たる灯火はまこと仏の光なりけり”
真っ暗な長い夜の獄舎では、明かりが仏の光のような救いであったと感謝の心境が伝わってきます。
姫島
望東尼のドラマチックな救出
望東尼に恩義を感じていた晋作は、奇兵隊士ら6名を二丈浜玉に潜伏させ、そこから急襲、牢獄破りを敢行させます。鉄砲などで武装した一団であり、番役人も恐れてか流血はなかったようですが、劇的な救出です。長閑な島で起きたおよそ150年前の歴史的事件です。救出されてからは防府で肺結核の晋作を看護しながら最後を看取ったそうです。翌年、望東尼も62歳の生涯を閉じました。
有名な連歌があります。晋作が上の句、望東尼が下の句を詠んでいます。
“面白きこともなき世を面白くすみなすものは心なりけり”
29歳で亡くなる晋作を望東尼は、心の平穏を優しく言い聞かせたものと思います。
野村望東尼之旧趾
野村望東尼之旧趾
伊藤博文らが建立した望東尼記念碑
石段の正面には“記念碑建設の芳名・寄付金額を彫った銅板碑”があります。そこには建設費236円のうち、毛利元昭公爵25円、伊藤博文侯爵15円、山縣有朋侯爵15円、岩倉具視公爵10円をはじめ、、、多くの人名が彫られています。長州藩~明治政府の元勲による多額の寄付が目立つのは、維新に貢献した望東尼の役割が大きかったことを暗示しているようです。
銅版碑の左奥には“野村望東尼之旧趾”と横書きに彫りこんだ石碑があります。竣工年や揮毫者の彫り込みは見当たりませんが、これが明治35年に竣工した記念碑とのことです。須田さんのお話では、昔は、このような高い石積みの上にではなく、もっと低い位置にあったとのことでした。
姫島
望東尼のブロンズ像、幕末を生きた厳しさが伝わる
望東尼のブロンズ像望東尼の青銅色の胸像”が御堂に向かって立っています。剃髪したお顔は厳しい風貌があり、激動の幕末にあって勤皇の志を貫き通した強い意思が伝わってきます。女性の身でありながら“福岡の三傑の一人”と評される人物とはこのようなお顔であったと空想してしまいます。
台座には原田新八郎と刻まれています。この方は日展審査員をされた彫塑家で福岡教育大教授も歴任され、原田大六さん(平原王墓発掘で有名な歴史家)の義兄になります。糸島市前原の伊都郷土美術館にはこの方の力強い深い彫りの彫刻が沢山展示され、また、伊都国歴史博物館庭園にも原田大六先生と題する大きなブロンズ像があります。
島の自然、風景には心の安らぎ、リクリエーションには絶好
メルヘンチックな小中学校の校舎は魅力いっぱい
その“牧歌的な外観”、見るだけで楽しくなります。コンクリートの校舎が一般的な今日において、温もりのある木造校舎建設(平成8年新設)の発想には感心させられます。
今回のFWでは、小中学校統合の様子を垣間見たく見学のお願いを申込んでおりましたので、庄嶋先生(教頭)から校舎内部をご案内戴きました。小1の可愛い児童から大きな中学生まで見かますが違和感はなく、虐めなど無縁の学校のように感じました。9月の文化祭では小中学生による望東尼演劇界を催し、晋作ゆかりの防府の生徒さんとの交流を始めたとのことです。校庭の眼前は海が広がり、対岸は唐津方面の海 岸線や丘陵が望まれます。
姫島
その先は荒々しい断崖の海岸線、釣り人の穴場
校庭の北側から先は人家もなく、野生の自然空間となります。しばらく道路を歩いていくと突然、道が途切れます。そこから先は玄界灘の荒波を受けた断崖が続き、ゴロゴロした岩石が落下した少し危険な海岸線となります。釣り人には、ここから先が穴場とのことでした。
姫島
小中学生が登山道を整備、島外の人にも楽しんで貰いたいとの思いから!
ここは、昭和30年頃までは農業の島だったとのことです。山頂(鎮山186m)に向けて段々畑の石垣が築かれイモや麦まで作られていましたが、次第に漁業中心となり、常緑樹のシイ類の樹木や竹、雑草などが畑を覆い、登山することも難しくなったとのことでした。5年前に小中学生が“島を訪れた人にもハイキングを楽しんで貰いたい”との思いで、登山道の整備をひと月かけて行ったそうです。
中腹から二丈の山並み、漁港を望む
中腹から二丈の山並み漁港を望む
鎮山へ登頂、眼下に広がる玄海灘
樹木がウッソウと茂る段々畑の間の登山道を登っていくと、中腹の視界が開けた所にベンチがあります。眼下には漁港とその先に“ゴーラと言われる細長い浅瀬”が見えます。干潮になると、さらに先まで現れ、龍が白波を立て海上をくねりながら泳ぐように見えるとのことです。山頂まではここで一休みしても3~40分程で着きました。当日は秋には珍しく春霞みのような天気で(ひょっとすると黄砂現象か)、当然見えるはずの壱岐の島は望めませんでしたが、真っ青な玄界灘が延々と広がっていました。
姫島
姫島神社の神事、全島あげての伝統行事
売店付近から山を見上げると姫島神社が見えます。神社の祭神は豊玉姫、神話に登場する海神さまだそうです。秋になると“姫島神社と氏子のお祭り宮座”の神事が、3日かけて行われ、最終日には宮司が島中の各家庭を1軒1軒訪れ、祝詞をあげるという風習があるそうです。各地の伝統的行事が失われつつある今日にあって、このような神事が大事に継続されていることに驚きを感じました。
姫島
姫島を舞台にした映画
姫島という離島の特質を理解するには格好の映画です。題名は“ここに幸あり”(リリックピクチャーズ製作)。内容は島の一人の若者が俳優を志望しながら奮闘している姿をユーモラスに描いたものですが、島の人情味溢れる人間関係、自然の美しさなどが伝わってきます。主人公はご案内戴いた区長さんのご子息であることが判明し、一同驚きました。そのビデオを後日鑑賞し、ほのぼのとした感動を味わいました。
姫島
帰りの漁港でも感動!
最終便の17時発、小中学校の先生も乗船され、いよいよ出航し始めた時、小学生7,8人の集団が岸壁から手を振っています。そのうち、元気のいい男の子1人が岸壁に上がり、船の速度に合わせて走り出しました。とうとう防波堤の最先端まで百m位来てしまい、手を大きく振りながら何か叫んでいるようでした。船窓の窓は密閉タイプなので声が聞こえず残念でしたが、先程ご案内戴いた庄嶋先生にお尋ねしたところ、小学校の教育実習にやってきた1名の研修生さん(先生の卵)の最終日だったので、お別れの見送りに来たとのことでした。昔観た“映画24の瞳”を思い出し、この島の未だ持つ健全性に感動しました。
姫島
あとがき
やはり、この島の魅力は離島という立地性に起因していると思います。本土では味わえない豊かな自然、雄大な景色、リクリエーション、人々の人情、そして望東尼に関わる維新前夜の足跡、、、ではないでしょうか。この空間へ僅か16分で行けますが、この短い時空の隔たりは極めて大きいものがあり、今後とも大切にしていって欲しいと心から思いました。

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