フィールドワークによる地域資源を把握する活動をします。

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糸島の仏像を訪ねて 〜特に、国や県が指定した文化財〜
悠久の歴史を秘めた雷山千如寺 
 今回は、雷山地区(前原市)で文化財指定を受けた仏像を中心に、そしてそれらの沢山の仏像を安置した雷山千如寺大悲王院の悠久の歴史の一端をご紹介します。 ご紹介します仏像および寺院は、信仰の大切な対象であり、普通の観光施設ではありませんので、感謝の気持ちとマナーを守って訪ねて戴くことをお願いしたいと思います。
~今はなき怡土七ヶ寺の本山であった雷山千如寺~
佐賀県との県境をなす雷山山系の中で一際堂々とした山塊が雷山(らいざん)(955m)です。霊峰と言われる通り、霊験あらたかな雰囲気を感じさせます。古くは神功皇后伝説を始め、奈良時代には聖武天皇(しょうむてんのう)によって怡土(いと)七ヶ寺(ななかじ)(雷山千如寺(せんにょじ)、浮(うき)嶽(だけ)久安寺(きゅうあじ)、一(い)貴山(きさん)夷(い)巍(き)寺(じ)ほか)の本山として雷山千如寺が発願され、清賀上人(せいがしょうにん)によって開山されたと伝えられています。平安時代には雷山三百坊といわれ、元寇(げんこう)の時には北条執権による敵国降伏の祈祷が行われ、戦国時代になると大友宗麟(おうともそうりん)はじめ多くの権力者が寺領を保証したことなどが古文書に記されています。 この中心地の中宮は、明治時代の神仏分離令に端を発する廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって破壊され、今は雷神社(いかずちじんじゃ)が静かにたたずむのみです。その境内に樹齢千年の観音杉や大(おお)銀杏(いちょう)(これらは県天然記念物)が高くそびえ、歴史の生き証人として雷山千如寺の歳月の流れを眺めてきたものと思います。
~雷山千如寺の法灯を継ぐ、大楓の紅葉で有名な大悲王院~
江戸中期の1753年、黒田藩主の継高公(つぐたかこう)によって雷山千如寺の下宮に真言密教の坊が創建され、これが今日の大悲王院に繋がっています。明治元年に仏教・仏像破壊の波が押し寄せた時、中宮に祀られた沢山の仏像は幸運にも大悲王院に運び込まれ、厄難を回避できた経緯があります。もし、この大悲王院がなければ、前号でご紹介した浮嶽久安寺(うきだけきゅうあじ)のような悲惨な仕置きを受け、今日のような姿で存続し得なかったのではないかと推察されます。その意味で、黒田藩が寄進した大悲王院の果たした役割は大変大きかったと思われます。 次に、無傷で生き残った多くの仏像をご紹介します。
~実数1.000本の手に驚かされる~
ご本尊として頭部に十一の仏面を載せた木造千手観音(せんじゅかんのん)立像(りゅうぞう)は、国の重要文化財指定を受けています。鎌倉時代の寄木造りで、像高465cmの所謂、丈六像(じょうろくぞう)(一丈六尺=約4.8mで理想の大きさの基準)と言われるものです。丈六像は九州では太宰府観世音寺はじめ幾つかの寺院にしか存在しない巨大な像で、見る人を圧倒させます。お顔は大仏のようなどっしりとした風格があり、42本の手と(千手観音はこの数のものが多い)の他に958本の手のひらを光背(こうはい)(仏像の後ろからさす光)に付けた実数一千の手を持つ珍しいものです。夫々の手には白色の縁取りした目(色褪せて判り難くなっている)がつけられ、多くの目と多くの手で衆生の苦しみを救ってくださるという有難い仏様です。この巨大な像の両脇には、次にご説明する多聞天(たもんてん)と持国天(じこくてん)の二体が脇侍(きょうじ)の如くしっかりと守っています。
千如寺雷山観音
 千如寺パンフレットより
~邪鬼を踏みつけた多聞天と持国天~
丈六像の脇に立つ二天王は多聞天(北の守護神で、独尊になると毘沙門天(びしゃもんてん)になります)と持国天(東方の守護神)の組合せとなっています。この二天像は鎌倉時代の作で、邪鬼を踏みつけた力強いエネルギーと共に重厚な威圧感が伝わってまいります。像高は凡そ1.7mの等身大の木像ですが、カッと目を開いた威風堂々の甲冑姿に圧倒されて、遥かに大きく感じられます。福岡県指定の文化財となっています。
~面白いことに二体いる雷神像~
ご本尊の背後には、千手観音の従者である帝釈天(たいしゃくてん)や金剛(こんごう)力士(りきし)、阿修羅(あしゅら)などの二十八部衆の木像(南北朝から室町時代の作、像高85cm前後、文化財指定は受けていません)がぐるりと居並んでいます。この中には面白いことに雷神が二体含まれており、風神がいません。雷山なので風神に遠慮してもらったのでしょうか。余談ですが、昨年末に伊都国歴史博物館のボランティア有志で、観音堂と開山堂の煤払いをしました時、二十八部衆を一体ずつ慎重に抱えて外縁に運び出して積った埃を除去しました。仏像の意外なほどの軽さ(内部を刳り抜いている)に驚くと共に、反面、歴史の重みが伝わってまいりました。
~肖像のようにみごとな写実性~
観音堂の裏戸を出て、五百羅漢(ごひゃくらかん)石像のいろんな顔を左手に見ながら回廊を登っていくと開山堂に着きます。この中に開祖の伝インド人僧の清賀上人の坐像が安置されています。鎌倉時代の造像で国の重要文化財指定を受けています。像高70cmの像を真正面から拝観すると、頭から両肩、そして両ひざを結ぶ線がきれいな二等辺三角形の端正な形となり、意外に大きく感じられます。お顔の表情は、上歯が一本一本見え、その下にはうっすらと朱色の舌も微かに見えます。お口を開いて読経し、そのお声が流れてくるようなリアリティが伝わってくるようです。 まさに一瞬の動きを捉えた肖像彫刻といえます。                      以上のように雷山千如寺大悲王院は、霊峰の山懐に抱かれた名刹で沢山の仏像を安置しています。ここを訪れると、都会の喧騒を忘れさせ、現代人が見失ったものを回顧させてくれます。また、それらと静かに向かい合える異空間のような気がいたします。合掌 
(文責:T.S)

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